日本でも、センセーション・メソッドを学ぶホメオパスが増えてきました。
ここでは主にホメオパシー学生やホメオパス向けに解説をしていますが、センセーション・メソッドを使うホメオパスに相談しようとしているクライアントの方にも、是非読んでいただきたいと思います。
日本ではホメオパシーに対する理解がまだまだ浅いのが現状です。
そうした中でセンセーション・メソッドに遭遇すると、更なる混乱が生じる可能性があります。
クライアントの方にとっては、このメソッドを通じてホメオパスがコンサルテーションで何を知りたいのかを知っておくことにより、ご自身の癒しのために大きく前進することになるでしょう。
また、この解説は私のセンセーション・メソッドに対する見解でもあります。
一部偏りがあるかもしれませんし、人によっては別の解釈をするかもしれません。
そのことをあらかじめお断りしておきます。
センセーション・メソッド(Sensation Method)とは、インドの世界的に有名なホメオパスである、Dr. Sankaranと彼の同僚達が築き上げてきた、クラシカル・ホメオパシーの方法論です。
特徴は、以下の3つに集約されるでしょう。
1. (氣付きの)7つのレベル(7 levels)
2. キングダム・アプローチ(Kingdom approach)&マヤズム
3. コンサルテーションの技法
(氣付きの)と括弧してるのは、私の解釈ではということです。(たぶん間違っていないと思いますが。。)
これは結局、クライアント(患者)の状態(State)やレメディ像(マテリア・メディカ)の把握など、適切なレメディを探し出すために必要な要素・作業を、全部1つのシステムとして纏め上げたものなのです。
(今まで、こういう「システム」としての方法論っていうのは、ありそうで無かったのですね。)
どれか1つか欠落したら、それはもうセンセーション・メソッドではなくなってしまいます。
時折、全然別のケースの取り方をして、「センセーション・メソッドで分析すると・・・」なんて言う人もいる様なのですが、それはもう、最初から違うわけです。
もちろん、例えばDr. Sankaranが編集したマテリア・メディカを参照して、レメディを選んでうまく行くこともあると思いますが、かなり不確実になるでしょう。
センセーション・メソッドとは、全部をひっくるめて1つのシステムなのだと認識してください。
応用の仕方は色々と出てくるでしょうが、まずはここからスタートしないといけません。
そもそも「センセーション」とは何でしょう?
これは、日本人には馴染みにくい言葉ですね。
広辞苑(電子版)で調べると、「人の耳目をひくこと。世間をあっと言わせる事件。大騒ぎ。大評判。」という風に書いてあります。
英和辞典(ジーニアス英和)で調べると、
1. 感覚、感じ。<feelingよりも堅い語。外的な刺激に対する感覚>
2. ・・・のような感じ
3. センセーション、物議、大評判、大騒ぎ
1、2は、日本語としてはあまり馴染みがありません。
英語で、「What's your sensation?」と聞かれて、そんなに戸惑う人はいないでしょうが、日本人が「あなたのセンセーションは?」って聞かれたら戸惑いますよね。。
ですので、我々ホメオパスは、そんな聞き方は日本人にはしませんが、センセーションについて聞くというのは、意外と頭が痛いです。
ホメオパシーでも、センセーションとは通常、「感覚」「~のような感じ」を指します。
センセーション・メソッドに限らず、クライアントの個人的な体験(個性)を重視するホメオパシーでは、主観的な感覚であるセンセーションには、古来より注目してきました。
ホメオパシーでセンセーションと言う場合、通常は「身体的感覚」のことです。
痛い、痒い、熱い、冷たい・・・といった感覚です。
ここから日本人が結構苦手な部分なのですが、「どういう風に感じるか?」という事を、ホメオパスは知りたいのです。
- 「ハンマーで叩かれるように痛い」
- 「締め付けられるように痛い」
- 「ドリルで掘り込まれているように痛い」
・・・といった感じです。
頭に「まるで(as if)」を付けて想像すると良いですね。
「まるでハンマーで叩かれるように痛い」といった具合に。
ここまで来て、ようやく「主観的な体験」となります。
このように、身体的な感覚(症状)にも、個性を見い出して行くというのが、ホメオパシーの特徴であり、これはセンセーション・メソッドに限った話ではありません。
では、なぜDr. Sankaranは、センセーションに注目したのでしょう?
Dr. Sankaranは、以前はセンセーションよりも妄想(Delusion)に注目していました。
病気とは、その人の中に深く根ざした妄想なのだと。
その人の中核を支配する妄想にマッチしたレメディを選び、その妄想を取り払えば病気は治るのだという考え方でした。
彼は、インド人だから当たり前なのかもしれませんが、非常に東洋的哲学的な発想をします。
しかし、彼の考え方を理解出来ないという西洋のホメオパスが結構いるのですね。
私は、仏教的な部分があって結構好きですし、日本人にも馴染み易いものだと思います。
さて、Dr. Sankaranの偉大な所は、常に進歩を続けるということです。
妄想に留まらず、思索・探求を続けた結果、現在はヴァイタル・センセーション(またはグローバル・センセーション)という概念に至りました。
「到達したぞ!」というのが、正に妄想であると言わんばかりです。
彼自身は、まだまだ通過点のつもりのようです。

ヴァイタル・センセーションとは、その人の心と身体を貫く、中核となる感覚のことです。
心の状態や身体の症状だけでなく、人生の様々な局面において、常にそこにある感覚。常に底辺に流れているエネルギー。
時間も空間もなく、常にその人の中核にあり、より無意識の領域にあるもの。
それがヴァイタル・センセーション(Vital sensation)なのです。
一般的な意味での身体感覚であるセンセーションを、ヴァイタル・センセーションに対して、ローカル・センセーション(Local sensation)と呼んでいます。
Dr. Sankaranが妄想よりも更に進んで探索しているセンセーションとは何かについて、(こちらのページと重複しますが)もう少し解説します。
身体に起きたことでも、何でも、それらは神経という経路を通って、脳を通じて意識上で解釈されます。
無意識下で解釈されていることもありますが、これも何らかの形で意識に影響を与えているでしょうし、意識と無意識のせめぎ合いのようなこともあるでしょう。
自分に何が起きているかを知るにまでには、起きた場所から神経を通じて、無意識及び意識のフィルターを通って来るのです。
そしてその感じ方、フィルターの通り方は、全体としては人それぞれ独特です。
同じ様に怪我をしても、Aさんは「ドリルで削られたように痛い」、Bさんは「焼けるように痛い」、Cさんは「誰かに殴られたように痛い」・・・などと感じ方が違います。
あるいは、痛さの程度に対する感じ方も人それぞれです。痛みに過敏な人もいれば、鈍感な人もいます。
その独自の知覚・認識がセンセーションであり、その人の「体験」なのです。
本人が主観的に認識している感覚は、症状で言えば痛みや痒みなどですが、そうした感覚を通じて立ち現れた心象風景(体験)は、身体に起きていることが、無意識を通じて意識上にユニークに描き出されたものであり、心と身体を貫いて、その人の存在の中核となるエネルギーの表現なのです。
ですから、心身の表面に立ち現れている感覚(ローカル・センセーション)を体験を通じて出来るだけ深くまで掘り下げて行くことで、無意識の領域まで可能な限り近づいて行き、その内面奥深くに根差している中核となるパターンを見い出せれば、それこそがヴァイタル・センセーション(またはグローバル・センセーション)であり、生命を司る氣あるいはヴァイタル・フォースの乱れ(パターン)を示すものだと、Dr. Sankaranは思い至ったのです。

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