センセーション・メソッド入門④ of SAM ホメオパシー コンサルティング

  病気とは妄想である

Dr. Sankaranの唱える「病気」の概念とはどういうものでしょうか?
キングダムについて理解する上でも非常に重要なことです。
ここからしばらくは、Sankaranのテキストを元に彼の志向プロセスを辿りながら、病気と治癒という事について考えて行きましょう。

ヴァイタル・センセーションとは、簡潔に言えば、中核のエネルギーの乱れの状態・パターンを表すものということでした。
このヴァイタル・センセーションと同じヴァイタル・センセーションを持つレメディを見つけて、癒しを得ようというのがセンセーション・メソッドです。

Sankaranは以前、「病気とは中心深く根ざした妄想(delusion)であり、治癒とは(その妄想への)気づき(Awareness)である」という考え方でした。

この辺りの彼の概念の変遷は「The Spirit of Homoeopathy」からの一連の著作を読むと良く分かります。

彼自身も、元々は伝統的な方法論でケースを扱っていました。
ある時、精神面(Mental)と全般症状(Generarities)のみでレメディを処方し、身体症状が患者に合致しないにもかかわらず、見事に治癒がもたらされたケースに出会いました。

どうして効いたんだろう?彼は考えた末、ハタと思い出しました。

「12cより高いポーテンシーは、一分子も含まず、エネルギーだけがそこにある」

オイオイ、そんなことホメオパシーでは当たり前でしょ?
そう言いたくなるでしょうが、この事は意外と忘れられているか、よく理解されていないことなのです。

Sankaranが改めて気付いたのは、「ポーテンタイズされたレメディは、ダイナミック(動的・エネルギー的)な効果しか持たない」ということです。

「レメディは、エネルギー的な作用しかしない」のです。
局所的な病理だけをいくら見ても、目に見える表層の現象だけを追っても、作用するレメディは見つからないということなのです。

それ以来、彼は別の道を模索し始めました。
最初の到達点は、「中心の乱れ(Central disturbance)」という概念でした。
病気はまず最初に、MentalとGeneralの不調和(乱れ、disturbance)を引き起こし、抹消の部分は最後に影響を受けるということです。

これはつまり、表層にある(内外という意味ではなく局所・末梢的な)病理は、「病気」を示すものではないということです。
では、Central disturbanceはどこに現れるか?
それは、精神領域であり、そこで患者が感じること(Feeling)こそが、disturbanceであろうと思い至ったのです。

くどいようですが、レメディはこうした目に見えない領域の不調和に作用して初めて、局所の不調和をも癒すのです。
(Sankaranは後に、それはセンセーションであり、エネルギーのレベルであると気付きます)

そんなことは当たり前だと、素直に腑に落ちていたでしょうか?
このことを無視したり、知らずにプラクティスをしている人が、どんなに多くいることでしょう!
そして、このことを患者さん(クライアントさん)にこそ、もっともっと知って頂きたいと思います。

Sankaranは研究を進め、精神状態(Mental state)とは、精神症状(Mental symptom)の羅列とは異なるものであり(つまり精神状態がdisturbanceを示すと考えたのでしょう)、患者の精神状態を理解しようとしましたが、それだけでは十分ではないことに気付きました。
彼は、レメディとは、(幾つかの)要素の特徴的な組み合わせであるという解釈を得たのです。

そして更に、それぞれのレメディが、ある特定の状況を象徴していることを見い出し、これをキッカケに、「病気とは、ある特定の状況における適応戦略(Survival mechanism)である」ことも理解しました。
患者の現在の状態(State)は、その状態の要因を構成するような過去の状況に起因するのです。(しかし、これは、過去のただ1つの状況だけを指すものではないと考えられます)

状況に対する適応戦略とは、状況が(目の前には)存在しないのに起きる反応・行動(Reaction)、または今の状況に対する過剰な反応であり、それが病気という事です。

Sankaranは様々なケースや研究を通じて、病気とはこうした現実に対する誤った認識(A false perception of reality)であるとの結論に達しました。
A false perception of realityというのは、妄想以外の何ものでもありません。
すなわち「病気とは、妄想(Delusion)である」のです。

状態(State)は、状況(Situation)または妄想から生じ、その状態はその人の「現実の見方・認識」を制約します。
その状態を取り除くためには、妄想を取り除いて、その人が現実を見つめることが出来るようにしなければなりません。
そうしてその人は制約が無くなり、自由を得るのです。

自分を取り囲む現実への氣付き(Awareness)が治癒であり、健康とは、自由であることなのです。

ここで状況(Situation)と妄想はセットで考えるべきであり、状況を取り除くというのを、単に人間関係を解消するとか、仕事を辞めるとかいった、形式的な状況のみを指すものとするべきではありません。
人生で一度もそんな状況に出くわしたことが無いのに、あたかも現実に自分に起きたことの様に体験する状況もまた、ここで言う状況(=妄想)に含まれるのです。

さて、ここまでのSanaranの氣付きの旅は、そのまま7つのレベルを辿っているかのようです。
精神領域で何を感じているか?から始まり(レベル3:感情)、その感じ方と状況に対する反応・行動(レベル4:妄想)を認識する。

感情レベルと妄想レベルは関係が深いと述べましたが、それは彼の辿って来た道を俯瞰すると、より理解が深まるかと思います。
しかし、偉大なるSankaranは、ここで留まることはしませんでした。

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  妄想からセンセーションへ

「病気とは、妄想(Delusion)であり、その状態(State)は、状況(Situation)または妄想から生じ、その状態はその人の「現実の見方・認識」を制約する。」

これがSankaranの最初の到達点でした。
抽象的過ぎて、現実味がないと思われるかもしれません。

花粉症を例にしてみましょう。
本来、花粉を微量吸い込んでも、目の痒みや、鼻水などは出ないものです。
しかし、花粉症の人は免疫過剰になって、本来反応しない花粉に過剰反応し、痒みや鼻水を噴出します。

微量の花粉を吸い込んでも症状が出ないのが、Realityつまり健康な状態。
花粉症としての過剰な反応は、本来身体にとって有害ではない量の花粉を吸い込んだだけなのに、まるで有害なものを吸い込んだかの様に、あるいは大量に吸い込んでしまったかの様に免疫システムが誤作動(False perception)している状態です。

バケツ一杯花粉を吸い込んだ場合は、Realityの方が歪んでいますから、こちらの「状況」は、妄想に関わるものではなく、病因(Etiology)です。
従って、バケツ一杯の花粉の方を取り除いてやればいいのです。

病気の状態に至る、状況とそれに対する認識や反応。
Sankaranの説く妄想とは、単なる精神的な症状を指すものではないのですね。
レベル4の妄想という概念が、随分と明確になって来たのではないかと思います。

しかし、ここには落とし穴がありました。
この時点でのCentral disturbanceという概念を中心としたケース・テイキング及びレメディの処方は、臨床現場において混乱と誤解を生みやすいのです。
そして実際に、しばしば難しく混乱しやすい作業であったとSankaranは述べています(An Insight Into Plants Volume-I)。

患者の中心を占める妄想を理解するとは、結局、精神領域の奥底を探ることです。
このためコンサルテーションでは、そこに辿り着くために感情的な現象を理解することが強調されがちです。
これは実際に難しい作業であり、しばしば、患者の物語の中で迷子になってしまい、その人がどのように感じているかの本質を理解出来なくなってしまいます。

Sanakaranでさえ、そうだったと、安心してもいいのかもしれませんが・・・

彼は、更に前進を続けました。
植物キングダムの研究が進むにつれ、ファミリーに共通するセンセーションとは、植物にのみ存在するものではないという認識を得ました。
病気あるいはレメディの状態(State)には(病気=レメディです。類似の法則)、精神領域と身体領域両面において共通のセンセーションがあるのです。

センセーション・メソッド以前は、精神状態や精神症状を非常に強調して来ましたが、中心の状態とは、単なる感情やフィーリングではなくて、精神と身体双方に繋がる共通のセンセーションであると、彼は気付きました。

Central disturbanceとは、最も深い精神と身体のセンセーションが結びつく中心点の状態であり、それが妄想だと彼はまず思い至り、精神領域の最深部にあると考えたのです。
しかし、センセーションという概念について研究を進めた結果、精神と身体を貫く共通の感覚があり、それは精神や身体といったレベルよりも更に深い何かであると結論付けました。
これがヴァイタル・センセーションという概念です。

よくヴァイタル・センセーションと妄想とはどう違うのか?という質問を受けます。
この2つも、妄想と感情の関係の様に、密接な関係にあると述べました。
ここで改めて考察してみましょう。

Sankaranは新しい洞察を得て、患者の妄想が精神状態としてだけでなく、身体症状として表現されるのを観察しました。
ここに至って、精神状態さえも、ヴァイタル・センセーションの一表現に過ぎないという確信を得たのです。

身体の感覚が、まるで妄想の様に表現される。
精神状態にも、同じ様な妄想的表現を持っている。
これらの表現の源にある、表現をもたらす「何か」。それがヴァイタル・センセーションなのです。
精神領域より、更に深いレベルにある妄想と言うことが出来るかもしれません。

そしてSankaranは、このヴァイタル・センセーションが最も凝縮され結晶化されて表現されているのが「主訴(Chief complaint)」、つまり本人が一番苦しめられている事、悩んでいる事であることを発見しました。

センセーション・メソッドを使うホメオパスが、「何があなたにとって一番問題ですか?」という質問をし、それに固執するように見えるのは、そこがヴァイタル・センセーションへの一番の近道であると考えているからなのです。

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  類似の法則再考

Sankaranは妄想からヴァイタル・センセーションへ辿りつきました。
では、ヴァイタル・センセーションは、病気と治癒にどう関わるのでしょうか?

病気というものを理解しようとする時、Sankaranがレメディについて熱心に研究してきたことが、彼のセンセーションへ至るプロセスから感じ取れるかと思います。

ホメオパシーの普遍の法則である「類似の法則」に立ち返れば、レメディ像=病気の像です。
従って、レメディのヴァイタル・センセーション=患者のヴァイタル・センセーションになるはずです。

ここで「似ている」ということについて考えてみましょう。

ホメオパシーを学び始めると、我々は当然ながら類似の法則、似たものが似たものを癒す、と教わります。
そしてマテリア・メディカを参照して、患者の症状と「同じ」ものを探します。
ちょっとトリッキーな言い回しになりますが、同じ症状であっても、同じではなくて似ているのです。

つまり、通常ありえないことですが、仮にレメディの症状全てにピッタリ一致する人がいたとしても、全く同じ人が2人いるわけではありませんので、この人とレメディは「似ている」だけなのですね。
基本的には、レメディ像というのは病気の像として捉える以上、患者の中の病気の部分が「同じ」なのだと、そういう風にも言えるかもしれません。

何が言いたいのかといいますと、マテリア・メディカを読んでいると、場合によっては病気でない状態についても記述があります。
そうすると、レメディ像というのは、必ずしも病気の像というわけでもないという感じがして来ます。
では、似ているってどういうことでしょう・・・?

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  人間の中の非人間的なもの

ヴァイタル・センセーションはどうでしょうか?
レメディのヴァイタル・センセーション=患者のヴァイタル・センセーション、「イコール」でいいのでしょうか??

これはイコールで結んでも差し支えない感じです。
ヴァイタル・センセーションとは結局、レベル6のエネルギーの表現であるわけです。
捉えようのない、表現しようのないエネルギーが、言葉として知覚・認識出来るレベル(レベル5)で表現されたものです。
何らかのエネルギー・パターン、あるいは振動を記述したものという事が出来ます。
それは個人のヴァイタル・フォースに干渉・影響し、妄想やセンセーション、感情、症状などを醸し出します。

くどく整理します。

ヴァイタル・フォースがあって、そのハーモニーを乱す何らかのエネルギー(存在)の表現がヴァイタル・センセーションです。

Sankaranは、「人間の歌」という例えを使っています(私はここの彼の表現がとても好きなのですが)。
人間は人間として固有の歌を持っているのだと彼は言います。
その中に芽生えた非人間的な歌が病気(=妄想やセンセーション)というのであろうと。

人間もまた宇宙の中の1つの存在として、ある程度はその非人間的な歌とハーモニーを奏でることが出来ますし、時にはその非人間的な歌がその人の主旋律になってしまうこともありますが、この内なるハーモニーが乱れた状態の時に病気になるのです。

まさしく、自然界のあるスピリット(Spirit)が人間存在の中に現れた状態となり、ある人の魂の中で、別の歌が人間生来の歌と一緒に歌われているかのようです。

この非人間的なもの(Non-human)こそが、いずれかのキングダムに属するレメディの歌(=ヴァイタル・センセーション)なのです。

それはまるで、他の物質のスピリットあるいは生命がヒトの中に入り込んで、病態や経験、行動、言葉、夢、職業の選択等を通じて歌っているかの様です。
ヒトはヒトとして存在しつつも、非人間的な部分も同時に表出し、それが混乱(=病気)をもたらします。

ヴァイタル・センセーションに至ってSankaranは、「病気とは、人間の中に芽生えた非人間的部分である(Disease is the non-human part of man)」という認識を得ました。

非人間的な歌は、しばしば聞き取りにくく、センセーションや夢、動作、特徴的な症状などを通して微かに認識出来るものです。
我々はこの非人間的な歌を認識し、ひとたびそれが何であるかを知れば(Awareness)、隠れた歌やメロディをトーンダウンする事が出来ますが、それに氣付くことが出来ない人は、その乱れたハーモニーの中に居続けてしまいます。

すなわち治癒とは、非人間的な歌(=ヴァイタル・センセーション)への氣付き(Awareness)を得て、ハーモニーを取り戻すことなのです。

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